2012-10-12 被災地交流ツァー(2012年10月12.13日)

総勢20人でバスを貸切り2日間被災地を回りました。市川ネットからは2人参加。仙台紙、東松島、石巻市、登米市、南三陸町を訪問しました。

 《今回の訪問先》

エル・ソーラ仙台(仙台市男女共同参画センター)

先進的な男女共同参画の取り組みをしている市です。参画センター利用の女性団体のネットワークが、今回の災害支援で大きな役割を果たしました。そのお話を伺いました。

石巻市 高橋徳治商店(水産練り物製品生産者)

海岸の設備が壊滅的な被害を受け、やっと工場を部分的に再開したところです。社長は会社、従業員、地域再生を背負って活動。水産業は放射能の問題も抱えています。

仮設住宅グリーンタウン矢本(石巻市被災者)

自分達で居住者の名簿を作り住民自治を立ち上げ、支え合うことから始めたそうです。自治活動ができた仮設住宅は住民の声を聴き、生活を改善していくことができるようになります。しかし仮設住宅の限界も見えています。部屋に戻るとおそう孤独感、仮設の期限は2〜3年。ここから先が見えない事に多くの人が不安を抱えて生活しています。

宮城県登米市 RQ被災地女性支援センター

登米市の仮設住宅には南三陸から多くの人が避難してきています。
 子育て世代の女性たちの活動をお聞きしました。コミュニティ作りを進め、カフェ、手作り作品、託児などを起業化しようとしています。
 国からの補助金打ち切り後の継続が問題です。

南三陸町復興みなさん会

宮城大学と連携し、街づくりを模索しています。巨大堤防があったために油断し、避難が遅れ大きな犠牲を払った地区です。

南三陸町の考える復興の進め方・・

1. 方向を定めるときはゆっくりと、決まったら迅速に

 5年でメドを立て、復興には10年かけて。未来への責任を果たすため寺子屋を開催し、

 十分に住民の意見を聞き、みんなで学び、高台での街づくりをしていくとおしゃっています。

2. 自然をおそれ、歴史から学び、未来を見据えて動く

 明治、昭和の津波(20m近い)の記録が生かされなかった。江戸時代に海を埋め立てた

 場所に町は作られていた。しかしチリ地震以後の情報で防災計画が作られていた。

 もともとの過疎化と、この震災で内陸へ避難している住民の現地への定住化による人口

 減。神戸、中越の街づくりを学ぶ。復興が早急に進んだ奥尻島へ視察。防波堤を作った

 海は変わり、人口は減少。様々な要因を考えています。

3. 心配な国の動向・・巨大な防波堤の必要性

  復興予算がついた途端に予算取りの為に早急に事を進めている。現地へ足を運び検証

 をすることもなく、防波堤(8.7m)の建設を進める国のあり方を憂慮されていました。

 (案内してくださった後藤さんから私達へ)

  現地を見に来て学んで下さい。これから起こるであろう

  首都圏直下型地震、南海巨大地震。これは東北だけの問題ではない。

     訪問した皆さんから何度も聞いた言葉

 ・コミュニティづくりの重要性
 ・住民参加は訓練が必要、すぐにはできない。
 ・自分達の意見が国に伝わらない。・・これは議員の役目のはずです。


ぜひ、被災地を訪問してください。今回私たちは自分たちでで計画を立てましたが、宮城

交通や旅行代理店などでもなどでも現地ガイドをつけたツァーを作っています。